沿革
| 大正3年 |
米倉友治が樺太大泊に渡り、漁網、海産物等を扱う海産商「米倉商店」を創業 その後、弟の米倉八郎太も渡樺し、米倉商店に従事 |
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| 昭和20年 ~ 昭和25年頃 |
終戦直後、樺太から引き揚げた米倉八郎太が稚内にて海産商「米倉商店」を開業 以降、昆布等を扱う海産商、鰊かす等の水産加工、沖合底曳網(沖底)漁業を行うほか、利尻島でも定置網漁業を開始するなどして事業を拡大 |
| 昭和25年 |
米倉水産株式会社設立 米倉八郎太が代表取締役社長に就任 |
| 昭和31年 |
新会社設立後初の新造船となる沖底船「第ニ宝生丸」を長崎にて建造 稚内にて鰊沖刺し網漁業開始 |
| 昭和33年 | 鰊漁不漁のため、定置網及び沖刺し網漁業撤退 |
| 昭和34年 | 沖底船「第十永伸丸」を室蘭にて新造 |
| 昭和36年 |
「第二十二永伸丸」を購入し、北洋底曳船団に参加 (沖底1隻、北洋1隻) |
| 昭和38年 |
北洋底曳船団を撤退、北洋転換船漁業(北転)に進出 (沖底1隻、北転1隻) |
| 昭和43年 |
沖底船「第三十五永伸丸」、北転船「第三十永伸丸」を新造 (沖底2隻、北転1隻) 大黒2丁目に本社事務所兼冷蔵庫(500トン)を建設 |
| 昭和45年 |
沖底船「第三十八永伸丸」を新潟造船所にて新造
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| 昭和48年 | 沖底船「第五十八永伸丸」を新潟造船所にて新造 |
| 昭和49年 |
「第七十一永伸丸」を新造し、遠洋まぐろはえ縄(まぐろ)漁業に進出 (沖底2隻、北転2隻、まぐろ1隻) |
| 昭和52年 |
米、ソ、200海里経済水域設定による減船のため、沖底船1隻を、新たに設立した双鱗漁業部によって、千葉水産株式会社と共同経営にて運用を開始 北転船漁業から撤退 (沖底1隻、まぐろ1隻) |
| 昭和54年 |
まぐろ船「第七十二永伸丸」を新潟造船所にて新造 (沖底1隻、まぐろ2隻) |
| 昭和55年 |
まぐろ船「第七十八永伸丸」を新潟造船所にて新造 (沖底1隻、まぐろ3隻)
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| 昭和58年 |
水産加工から撤退 石油部新設、小樽にて石油スタンドを買収し、石油類販売を開始 米倉弘が代表取締役社長、米倉八郎太が代表取締役会長に就任 |
| 昭和60年 | 日ソ漁業交渉により樺太西海岸漁場が閉鎖、東海岸も制限がかったため、双麟漁業部を廃業 |
| 昭和62年 | まぐろ船「第七十一永伸丸」を新潟造船所にて新造 |
| 平成3年 |
まぐろ船「第七十八永伸丸」がカナダ沖で大嵐に遭遇、大損傷するも自力でハリファックスに入港 本事件が平成12年公開の「パーフェクトストーム」(ワーナー・ブラザーズ)のモデルとなった まぐろ船「第八十二永伸丸」を新潟造船所にて新造 |
| 平成4年 |
まぐろ船「第八十八永伸丸」を新潟造船所にて新造 (沖底1隻、まぐろ4隻) |
| 平成9年 | 冷蔵倉庫事業開始 |
| 平成10年 |
まぐろ資源減などの問題から日鰹連主導によりまぐろ漁業撤退 (沖底1隻) |
| 平成12年 | 冷蔵倉庫事業撤退 |
| 平成13年 |
石油部を縮小、小樽の石油スタンドを売却 事務所を旧稚内市有第1市場内に移転 所有山林にて造林事業開始(植樹、作業路新設) |
| 平成14年 | 所有山林にて「森林整備地域活動」として造林事業を実施(以降平成19年まで毎年実施) |
| 平成16年 | 事務所を現在地に移転 |
| 平成19年 |
坂原勇次が代表取締役社長、米倉弘が代表取締役会長に就任 所有山林にて新規「森林整備地域活動」として下草刈事業を実施(以降平成25年まで毎年実施) |
| 平成20年 | 会社の将来を見据え私的整理を開始 |
| 平成23年 |
新「米倉水産株式会社」設立 代表取締役社長に坂原勇次が就任 |
| 平成25年 |
最先端の省エネ型船となる沖底船「第七十一永伸丸」を新潟造船所にて新造
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